八雁短歌会

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笹井水輪歌集『ふうせんかずら』跋文

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跋文
阿木津 英
 笹井さんにとって、この歌集の歌を作った二〇〇三年から二〇一一年まで、すなわち石田比呂志の「牙」に所属し歌に懸命に励んだ期間は、いわば黄金の日々ではなかっただろうか。子どもが育ちあがってのちに始めた作歌で、地元の豊肥(竹田)短歌会に所属、その頃から読売新聞西部歌壇の石田比呂志選に応募しつづけて研鑚を積み、ようやく思い切って「牙」に入会したのが二〇〇三年のこと。厳しいことで知られる石田の斧正に耐えてみようと、新たな心組みで出発したものと思われる。年齢は六十代半ば。家庭の束縛から放たれて、歌も身も心も膏の乗り切った時期であった。
笹井さんの生活についてはまったく存じ上げないが、巻を開くや、歌に感じられる充溢した気力がそう思わせるのだ。

水底の苔の錏(しころ)の間(あわい)より湧く水青き炎の如し

巻頭の歌だが、「苔の(しころ)」という語彙の選択からして、すでに凡ではない。「(しころ)」とは、兜や頭巾の左右後方にさがる首筋を覆うものを言うらしいが、あたかもそのように水底の石に苔が覆っている。その下から水がたえまなく湧きのぼるが、それは「青き炎」のようだという。一首の締った言葉運びが「青き炎」の揺らめくうつくしさをつたえる。

枯れ草の傾りほつほつ紫萁(ぜんまい)のつむじ曲りの子を生む気配
臍の緒を袈裟懸けにしてたわむれし()(つき)十日を忘れて生まる
群鳩は高度を下げて空の道譲りぬ鴉とすれ違うとき
うっかりと年魚が擬餌鉤含むころ蕺草(どくだみ)十字の白花ひらく
暁の声をあげ鳴くかけろかも(おゆび)ひらきて土踏み締めて
杣人の手にぶらさがり自然薯は産土黒くつけて来にけり

ぜんまいを「つむじ曲りの子を生む気配」と見る。「つむじ曲り」への共感をもった軽い笑い。「臍の緒を袈裟懸けにしてたわむれし」とは、驚かされる。こんな胎内を空想する歌は見たこともなかった。「空の道」をすれ違うときの鳩の鴉に対する仁義、さもあらんと思わせられ、擬餌鉤を含む年魚とどくだみの十字白花との取り合わせの妙に膝を打ち、かけろの「(おゆび)ひらきて土踏み締めて」の生き生きとした現出を堪能する。抜き上げてきた自然薯の泥を、「産土」とは。自然薯に目鼻がついているようにさえ見える。
どの歌にもかならず見所がある。ともかく、機敏俊敏、才気煥発のきびきびとしたリズム感と、現実を見るほろ苦い視線とがないまざって、対象との距離が余裕を生み出し、そこに軽い笑いが生まれ出るのである。からくて、苦くて、渋い。布で言えば、紬のような感触の歌だ。

燻し金燻し銀なる面面にまじりてアルミニュームな気分
一人負いひとり身ごもり家出せしことあったっけ小倉に小雪
七十はつくづく年寄り長病めば子にも諂いかねぬこのごろ
あら何か悪さしたのか棘固き蔓薔薇フェンスに縛られている

 軽妙な笑いを呼ぶ自己戯画化は、さらにお手のものである。「アルミニュームな気分」「子にも諂いかねぬこのごろ」なんて、思わず口もとが弛まずにはいられない。けれども、軽快なリズム・言い回しにもかかわらず、そこには一滴の生の苦味がかならずしたたっている。「家出せしことあったっけ小倉に小雪」とおどけてみせもするが、女としての苦(おそらくは嫁姑のような問題ではなかったかと勝手に推測するが)の遠い疼きが呼び起こされる。辛酸渋苦を胸奥にしまって、事に処してきたそのまなざしが、どの歌の底にも感じられる。

恩寵の七つひかりも十字架も負わず七十路ふうせんかずら

 親の七光りという恩寵にはもとより預からず、選ばれて十字架を背負わされる運命ですらなかった。この山間の奥豊後を一たびも出ることなく、平々凡々たる女の一生を送って、齢はすでに七十路に入る。歌は、みずからの一生をそう括りながら、「ふうせんかずら」の軽みを取り合わせて、諦念というよりは受容する。
 笹井さんの住む豊後竹田は、江戸終期には田能村竹田を生み、明治以降には滝廉太郎や朝倉文夫を生み出した、文化的な土壌の厚い地である。豊後南画の手習いをする歌もあった。〈杉野はいずこ〉で有名な、最初の軍神と言われる廣瀬武夫の神社が近くにあるらしい。あたかも隣のおじさんのように廣瀬武夫の名が現れる。このような地に深く根をおろしたところから、歌集『ふうせんかずら』一巻はうたい出される。一首一首にその風が沁みているといっていい。さきに引いた自然薯の「産土」の(アイデア)も、こういうところから発するのである。
枚挙にいとまのないほど面白い歌がある。良い読者に出会われんことを願う。そして、平々凡々たる無名の歌の徒として、ふうせんかずらの実のように軽やかに、新たな日々をうたいのばしていかれんことを―。

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