跋文
阿木津 英
吉田佳菜さんとは長いつきあいだけれど、見ていて、いつも感ずるものがある。何と言い表したらいいのか――。この歌集原稿から目を離してしばらくめぐらしつつ、「けなげ」という語に思いあたった。そう、わたしと言葉をやりとりして最後に見せる表情が、何ともいえず、いつもけなげなのである。
吉田佳菜さんが短歌を作り始めたのは、二〇〇一年一〇月、朝日カルチャー立川の短歌教室に入ってからだというから、すでに丸十三年になる。その間、印象はいちども変わることがない。
吉田さんは、若いときから絵画を学び、短歌を始めたときには水彩画を描いていた。絵画に関しては三十年余りのキャリアがあり、毎年一回個展をひらくほど打ち込んでいた。
久びさに訪ねくる人待ちわびて部屋ごとに置く水仙の花
むらさきに茶を編みこみてふつくらと着たるがごとし二月の山は
初期の頃の歌である。ひさしぶりに訪ねてくる友人を待ちわびて部屋ごとに香りの良い水仙の花を飾る。この心のつかいかたがいかにも吉田さんらしい。少女のようにけなげという感じがするのである。おそらく、世の中はこんなけなげさを理解する人ばかりではないから、その背後に傷つきやすさが隠れているようでもあるが、それをもけなげに乗り越えようとする。わたしの見る吉田さんは、いつもそんなふうであった。
吉田さんの絵は、色彩感覚に富んでいる。色づかいが甘美な旋律をかなでるような絵だが、「二月の山」を「むらさきに茶を編みこみてふっくらと着たるがごとし」と見るところ、それがそのまま歌に現れている。「むらさき」と「茶」という色彩に対する感度の良さとともに、〈女の子〉を心のなかに抱きつづけている人の感覚である。
一方、色彩に頼りすぎると形態がおろそかになる。歌で言えば、形容詞ばかりでつくっていこうとして、文構造がしっかりしない。そのことを指摘するたびに、吉田さんはけなげな表情をして、「絵でも同じことを言われます」とうつむくのであった。
いっせいに群雀高く飛び立てばキャベツ畑に囀りのこる
乾きたるざくろひとつの存在の確かなるかな画室の棚に
ロマンティックな感覚の良さを損なわずにしっかりした構造を学ぶには北原白秋がよかろうと、『桐の花』を読むようにすすめた。「キャベツ畑」の歌などには白秋の歌の名残が感じられる。吉田さんは、ほんとうにまじめに、懸命に読み、学んだ。その甲斐あってか、やがて「ざくろ」の歌のようなしっかりした存在感を歌に実現するようになった。この歌集を読んでいても、ある頃から、歌が明確になり、しっかりと立ってきているのがわかるだろう。
吉田さんは、国内へも海外へも、よくスケッチ旅行をした。年一回の個展開催もなかなかたいへんだろうと思ったが、好きなことを自由にやるための資金稼ぎにアルバイトをしながら、静岡の海辺に住む夫の両親の遠距離介護もした。身体が幾つあっても足りないだろうと思われるような日々をにこにこしながらやりこなしていく、その表情がまたけなげであった。
野良仕事終りて帰る人の手ににぎられて揺る黄菊の束は
二歳にて孤児となりにしわが父のこころの内を思ふ忌日に
ちちとははとふたつ並べる車椅子のどかに見ゆる立冬の縁
海風に庭の小菊の花揺ると車椅子押し出でて見せしむ
老いたちちははの介護に携わる吉田さんのかいがいしさが目に見えるようだ。海外にスケッチ旅行に行っては瀟洒な色彩の水彩画を描く吉田さんとはまた違った側面が見える。おそらくは老いた手であろう、その手ににぎられている「黄菊の束」の揺れがじつに懐かしい。そんな懐かしさも、吉田さんのけなげな表情のうちにはひそんでいる。
いつもくるくると動いているような吉田さんが病を得たのは、二〇一一年一一月のことであった。入院中とその後の歌は、さらに歌に深みをもたらした。
ひとすぢを張るくもの糸その糸にからめ取られてそよごの葉揺る
絵の中の路地行く老女その目には見つめてあらむ希望ひとすぢ
草芝に寝ころびまぶた閉づるとき空の青さは目の中にあり
掃き寄せてもみぢ葉過ぎし日々のごと堆くあり何かいぢらし
昨年晩秋、再入院を機会に、このたびの歌集編纂を思い立った。十三年間も歌をやってきたのだから、まとめるのにちょうど良い時期でもある。さて、こうして吉田さんの歌を見渡してみると、ずいぶん花の歌が多い。
花びらよ散れよと言へば夜の風に吹かれて浮けり桜はなびら
誰が編みてほどきし糸か白白とからすうりの花夕べの垣に
このようなこの世ならぬものとの心の通い合いが、吉田さんの花をうたう歌の根底にある。心に抱いている〈女の子〉がサナギを脱いで羽化したような、生き生きとした〈をとめ〉の空想力がここにはある。
吉田さんは、そんな空想力をかきたてるようなものに出会ったとき、このうえない幸福を感じるのだろう。さくらや、からすうりの花や、コスモスの花や、そういうものとの出会いをなんとか画布に、言葉に、現してみたい。そんな衝動が、吉田さんに長いあいだ絵を描かせ、歌を作らせてきたのだろう。
わたしは、大きな花束のような歌たちのなかから、めだたない野の花でありながら、夏の月のひかりのもと、華やかに繊細にひらくからすうりの花を一つ抜きとって、この歌集の上に冠した。
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