八雁短歌会

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藤井順子歌集『野紺菊』跋文

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跋文
阿木津 英
 藤井順子さんの歌の特色をひとくちで言うのはむずかしい。どこにでもありそうな平凡な日常をうたうが、そっけないと思われるまでに感情の振幅が少ない。甘やかなところは少しもない。かといって、厳しくも冷たくも辛くもない。対象をやや遠くから見つつ、抱き取りもしないが突き放しもしない。そんな、対象に距離をとることのできるまなざしが、独特のしらべをつたえてくる。
両の手に夫は猫を抱きしめて若き父親の如き顔せり
枕辺に夫は(えにし)のうすき母使い残せしラジオを置けり

 「猫を抱きしめて若き父親の如き顔」をする夫、縁うすいその母の使い残しのラジオを枕もとに置く夫。いずれも夫を対象化する突き放しの力がはたらいているが、同時にそういう存在のあり方を一人の人間としてあわれと見る情が底に流れている。
パーマ屋に忘れし眼鏡何事もあらぬ顔して茶箪笥の上
肩パット入るローンの済まぬ服着て久々のクラス会に来く
大根の種を買い来て手の平に握りしむれば手に温かし
幸せのカード失くして乱雑なバックの中を掻きまわしいる
日雇いの僅かな金を握りしめ漕ぐ漕げ自転車春風受けて

 こんなユーモアをもった自己戯画化の歌も、対象に距離をとることのできるまなざしから生まれる。少しもむずかしくなく、面白く、人々の共感を呼びそうな歌である。
 だが、耳に聞こえてくるしらべを聴けば、意外にその根底の晦渋であることに気づくであろう。何ともいいようのないものが底に流れている。「漕ぐ漕げ自転車春風受けて」と、愉快な、弾むような響きを元来もつはずの語の連なりが、あたかも低い呟きのように聞こえてくる。「手の平に握りしむれば手に温かし」、「温かし」とは言うけれどその裏に放心した虚しさのようなものがかすかに流れている。
遺影の()の笑顔に向きて今朝もまた小声(こごと)に叱言言いつつ立てり
月々の命日来れば花を替え水替えてやる出来悪しき()
ぬばたまの黒髪一筋残りおり今は亡き()の机の中に
わが娘の遺影つくづく眺むれば器量は吾より少し悪ろしも
わが娘好みし鈴蘭庭に群れ自決を選ぶこころの哀し
むつまじく(むすめ)と歩み来る人に擦れ違うとき(おもて)を逸らす

 こんな藤井さんの一見たんたんとした日常の歌の集積に濃いしたたりを落としているのが、第二部「白き布」一連にうたわれた長女の死である。その歌が常凡ではない。死んだ娘の遺影に「今朝もまた小声に叱言(こごと)」を言うとうたい、月命日に花を替え水を替えてやる、「出来悪しき()に」とうたい、遺影をつくづくと眺めてみると「器量は吾より少し悪ろしも」とうたう。世間通俗情から見れば、これが子を亡くした母の歌かと、唖然とするようなフレーズであろう。藤井さんはそれを格別偽悪的にならず、何の力みもはばかりもなく、洩らす。
 愛するものを死なせた者は、そうでなくとも後悔に身をさいなまれるものである。ましてやそれがおのれの子どもで、自死されたのでは、苦しみはいかばかりか。しかし、その苦しみ悲しみは藤井さんの歌にはおもてだたない。それが藤井さんなのだ。「白き布」一連は、感情が凍結したような歌だった。三年が過ぎ、四年が過ぎして、厚い氷が徐々にゆるんでゆくように、亡き娘の歌が一滴、二滴としたたり落ちる。その低い呟きのようなしたたりを読み重ねながら、ふかく抑えられたものがいつしかこちらの胸に響いてくる。そして、ふいに眼のほとぶのを覚える。
 あるとき藤井さんの歌が、いかにも楽しげな表情を見せたときがあった。初孫娘の歌である。
両の手を打ちて足上げ踊りいる二歳この子とほどけて遊ぶ
アンパンマンになりて風呂敷結びたるわれ跳びあがる(おさな)子の前
爺と婆お猿の籠屋唄いつつ竹籠担ぐ(おさな)子のせて

 ここでも自らの姿をきっちりと対象化しつつ、しかも無邪気きわまるたのしさにいるおのれをとりだしている。この満ち足りたたのしさは、亡き娘との過去の時間がよみがえったかのように錯覚されるところから来るのかもしれなかった。

 藤井さんは、柳井でひらかれる切戸川歌会に、益田から三時間も列車を乗り継ぎ、のちには夫の運転する自動車でやってきて、石田比呂志に教えを乞うた。そうしないではいられない何かが、藤井さんの身に巣食っていた。それが、藤井さんに短歌という形式を見つけさせ、作らせつづけたのだろう。
 この一冊の歌集には、二十九歳をもって自から死を選んだ娘和子さんの鎮魂の思いがこめられている。サティを弾き、ラフマニノフを弾いて、芸術的な才能もゆたかであったかに思われる若い魂の苦悩のしずまらんことを。
 
 
 

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