目次
Ⅰ
『サラダ記念日』――消費社会に馴致された感性の出現
1.俵万智、スタート台に立つ
2.販売戦略
3.『わたくしたちのサラダ記念日』をめぐって――読者分析
4.CMコマーシャルの文法で作り上げられた主体――作品分析
5.『サラダ記念日』現象のもたらしたもの
女歌と女歌論議の時代――七〇年代から八〇年代前半まで
一、個人的な体験から
二、女歌と女歌論議の時代へ
1 馬場あき子――比喩としての〈女〉の肯定
2 河野裕子――家庭という場所での女の謳歌
3 道浦母都子――発見されたヒロイン
4 阿木津英――新しいパラダイムへ
三、終りに
女歌論議とは何だったのか
一、「女歌」という用語
二、歌壇における三つの女歌論議
1 中城ふみ子らの評価をめぐる五五年前後
2 「女歌」の終焉をめぐってなされた七〇年初頭
3 「女歌」解釈をめぐる一九八四年前後
三、女歌論議とは何だったのか
1 <近代性>を尺度とする文学ジャンルの序列
2 <近代化>の圧力から逃れて
3 <中心-周縁>の圧力関係と<表-裏>の対抗関係と
4 女歌論議の収束
四、日本とは何か、という問題
Ⅱ
日本国憲法制定と女の歌
一、はじめに
二、女人短歌会成立以前
1 短歌ジャーナリズムの女性新人待望
2 法制度変革と女の歌――五島美代子・山田あき・安藤佐貴子
3 家制度廃止と男の歌
三、「母」と「主婦」――戦後の女の歌の限界
女人短歌会
一、発足前後
二、〈力〉の発生と行使――組織体として
三、女人短歌会が提起したもの
1 歌の選評にも性差が反映する
2 「人間性」か「女性の特質」か
四、その成果
1 女性たちの意欲集約の場として
2 森岡貞香と葛原妙子
3 〈剥き出しの女〉という主体
Ⅲ
「母性」再考――翻訳語「母性」「母性愛」の生成過程と定着まで
一、翻訳語に貯蔵された記憶
二、「母性」の語誕生から「母性保護」まで――一九一六年
1 批判語としてまず選ばれた「母性」
2 らいてうの「母性」「母態」と「種族」
3 「母性保護」という語の出現
三、「母性保護論争」――一九一八年から一九一九年
1 らいてうの「母」「母たること」+「社会的、国家的存在者」
2 「母性保護」から「母性を保護」「母性が保護」へ
3 山川菊栄の「母体保護」
四、「母性」「母性愛」概念の成立――一九二〇年から一九二二年
1 らいてうの「母愛」「母の愛」
2 「母愛」から「母性愛」へ
3 「母性」「母性愛」の定着と普及
五、進化論、優生学思想から生まれた「母性」
五島美代子――その近代母性の歌
一、「母性」「母性愛」の歌の源流として
二、母親との軋轢
三、母子密着と「母性喪失」
四、まず否定的に見出された〈母であること〉の主題
五、フェミニズム系統から誕生した「母性」
六、「母性」の歌の平等性と社会性
七、全肯定される「母性」
八、現在の母の歌
Ⅳ
『青鞜』時代の女性短歌――「個人」への覚醒と「女」とのはざまで
一、新詩社の系譜をひく『青鞜』
二、らいてうの関心
三、『青鞜』の歌人たち
1 新旧の女の対立軸のはざまで――茅野雅子
2 強者としての女――岡本かの子
3 文芸への強い意志――三ヶ島葭子
4 平凡な女の生活のなかから――柴田かよ
四、『青鞜』の周辺で――山田邦子と若山喜志子
五、「個人」「女」そして「私」
日本的なるものと〈女〉という場所――茅野雅子「女のうた」を中心に
今井邦子――歌集『片々』と島木赤彦
一、歌集『片々』の短歌史的位置
二、『青鞜』誌上にあらわれなかった邦子の歌
三、『片々』の歌を評価した赤彦
四、赤彦のアララギによる「救済」
五、斎藤茂吉の選歌
Ⅴ
劇場としての初期明星――『明星』第八号発禁の理由を中心として
一、裸体画だけか
二、十二月十七日付寺田憲宛長塚節書簡
三、『こゝろの華』の匿名読者投稿欄
四、山川登美子の結婚問題
五、鉄幹演出・主演による舞台として――『明星』第六号
六、女優「晶子」の煩悶と反撃――『明星』第七号
七、前衛劇場としての『明星』
八、町人文化と晶子の歌
市場へ開放された女の歌―――『みだれ髪』から『チョコレート革命』まで
一、対話の文脈と星菫調--『明星』初期男性の歌
二、異性愛に特化された『みだれ髪』の「君」
三、女の姿態描出と能動性
四、市場へ開放された女の歌
五、摩滅する〈生きる主体としての女の性的身体〉
根ざしの意志と根切りの衝動--二十世紀短歌として見るとき
初出一覧
あとがき
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